中国映画『呉清源〜極みの棋譜〜』,田壮壮、2006、中国・日本
棋士のことはよくわからないのだが、戦前にその天才ぶりを謳われてニホンを訪れ、戦前、戦中、戦後の運命の変遷を、比較的淡々と描いている。
比較的といったが、もちろん激動の時代であり、たいへんな目にあったことはもちろんだが、そのわりに淡々としているということ。
この天才棋士を襲ったまた別の運命とは、ニホン人女性を娶りつつ、戦中から新興宗教にいれあげたこと。
これものちには迷妄のこととわかるのだが、ひとつのことには天才でもまたべつのことには、愚かであるということ、またはこれは時代そのものを象徴しているのだろうか。
また棋士の世界には師匠やらその世界があるわけで、そのミクロコスモスは確固としたもので、まるで茶道の世界のごとく、世俗の価値観とまっこうから対立するもの、あるいは超然としているものであるらしい。
映像的には静謐感にみちていて、数々の苦難にもかかわらず、静けさをあたえられる。
TV,22チャンネルにて。
(16 of September, 2011)