米国映画「Black Swan」、Darren Aronofsky 、2009、米国
美とは怖ろしいものである。
ドストエフスキーが、あるいはミシマがそれを語ったりする。
ひとが内的リアリズムの軸を美学だと定めたとき、その美とは完全性とつねに一体化するがゆえに、えてしてひとは自分を見失いさえする。
ほかのひとからは、うつろな、あるいは血相をかえた日々しか印象に残らないだろうものは、いわば外的リアリズムとでも呼ぶべきしろもの。
そのふたつのリアリズムの狭間でひとは翻弄され、あるときは喜劇に、またあるときは悲劇の様相をおびる。
ひとつのバレー劇団のなかの集団力学的な内容も込められていて、それはより拡大されたコミュニティーについてのメタファーともなるだろうが、ここではおもにナタリー・ポートマン演じるところの、こころの遍歴、または自分を超えていってしまう存在への、神経症的忘我、こそが問われるべきであろう。
へたに美など追い求めずに凡庸な日々をおくることに愛着を感じてしまうような印象も残る。
さあ、若いときはそれなりに挑戦したほうがいいかもしれないが。
(14 de febrero, 2011)