メキシコ映画「Seguir siendo: Cafe Tacuba」、Ernesto Contreras, Jose Manuel Cravioto, 2010, メキシコ
カフェ・タクーバとは20年とちょっとの歴史をほこるメキシカン・ロック・バンドであるが、ロックといえば今ではメタル系が多いなかでこのバンドはミック系である。
じつは20年も前、ポランコの屋外コンサート会場アンへラ・ペラルタにてすでにわたしはこの若いグループのライブに接していた、それ以来、残念ながら再び足を運んではいないが。
メキシコにとって欧米的近代(のようなもの)に近づこうとする努力は、ポップ・ミュージックでもさまざまに試みられた。
古くは、ホルへ・レジェスらのチャック・モールに見られるように。
あるいはマージナルな貧困さを基にしたメキシカン・パンク・ミュージックのように。
しかしカフェ・タクーバは、ひとつまえの文化をもひきずっている。
それはペドロ・インファンテであり、ティン・タンであり、またはパチューコというメキシカン・バロックの亜流だったりする。
そのようなミックスされたロックミュージックが、若い世代にどう受け止められるか、カフェ・タクーバ自身のメンバーも自信がなかったらしいのはおもしろい。
その音楽性については、もっともっと語られていいはずである。
そのメンバーにしろ、ミック・ジャガーとかボノとかに匹敵するようなカリスマ性にはまったく欠けた、そこいらの仕事にあぶれたにいちゃんのような連中だ、ぜんぜんカッコよくないのにカッコいい(笑)。
それはいまのメキシコの若者の文化の古層に刷り込まれたものを思い起こされるし、そんなにも長いあいだ、活動できたのだ。
でも理屈はいいや。
サタニックなメタルでなくてもシャウトしていいのだ。
ニホンでのライブはホテルのホールから始まったが、皇室のひとも交え、そのちぐはぐさから始まって、ニホンのちょっとずれたイメージを描き出してくれる。
(2010/12/06)