アルゼンチン映画「La mirada invisible(見えない視線)」、Diego Lerman、2010、アルゼンチン
軍事独裁下のアルゼンチン、巷には抑圧だけが拡がる。
ある高校の女性教師も厳しく生徒を監視。
しかしこの女教師の抑圧は、他者へのみではなく、自己にも向けられているのがわかる。
祖母、母、マリア・テレサと三人で住んでいるが、どうやら母はシングルマザーで、マリア・テレサも男性にたいして不信を抱き、そのために自己抑圧にはしる。
この女主人公、はじめはオールド・ミスに映るが、じつはまだ23歳でしかないという。
このマリア・テレサ、それにある生徒に異常な関心を抱いてしまう。
客観的にみて見映えのする男の子ではないが、その異常さがマリア・テレサの心の位相をしめす。
男子生徒をより厳しく監視すべしとマリア・テレサは男子トイレにまでこもるようになる。
男性上司は、はじめは大いなる理解をしめすが、やがて逸脱しかける。
マリア・テレサは上司にレイプされ、あげくのはては上司に傷害をおわせる結果になる。
これによって抑圧・監視の構造は崩壊にいたる。
マリア・テレサのメンタリティは、軍事独裁制のメタファー。
ミシェル・フーコーあたりの影響も感じさせられる。
そのとき、軍事独裁も崩壊をつきつけられていた。
軍事独裁をシンボリックに巧みに扱う。
いま読んでいるリョサの「ラ・カテドラルでの対話」ではそれを全体小説風に描いていて圧巻であるが、このように感覚的に軍事独裁を描く手腕というのも見事なもの。
(2010/11/19)