米国映画「The Messenger 」、Oren Moverman、2009、米国


イラク侵略戦争がもたらすものを、戦場ではなく、本国を通じて描く。
 戦死通知を犠牲者の家族に知らせにまわるもので、そこでは悲しみのみでは言い切れない、コンフリクトがうまれることになる。

 はるかな昔、高校生だったとき、サローヤンの作品にて、第二次大戦の米国の田舎町、少年が電報配達夫としてある婦人にその息子の戦死通知電報を渡すところを読み、その痛切さにうたれたものだが、この映画作品はより複雑な構成が盛り込まれている。

 軍の任務であり私情をまじえてはいけない。
 これに携わるふたりの男は、傷病兵でもある。
 自分たち自身のコンフリクトにみちた暮らしも描かれる。
 そしてもちろん帰還兵のことを理解しにくい米国社会一般のことも。
 いくら米国と世界への脅威だからといっても本国に差し迫った危機感が社会に漂っているわけではなく、またたとえ戦場にて英雄扱いされてもきれいごとでおさまる次元のものではなく、戦場から戻ってくるひとは、なにかしらの疚しささえつきまとわずにはおかない。
 その若いほうの兵士が、夫の戦死を伝えた婦人に私情をまじえてしまう。
 もちろん逡巡はしながら婦人は躊躇する、それは社会的に赦されないことでもあるし。

 この映画作品には、既視感が見え隠れするが、それでもていねいに作り上げているという印象を持つ。
 哀切感がたちこめている。
 
 しかしながら戦死者を悼む米国の向こう側には、戦闘者のみでなく、一般市民まで巻き添えにされ、おびただしい死者まで出しているイラク社会の惨状を想起しなくてはならない。
 それを怠るならば、この映画は米国のエゴイズム丸出しということで弾劾さえうけるべきである。


(2010/10/31)