メキシコ映画「Espiral(「螺旋」)」Jorge Pérez Solano、メキシコ(2008)
ニホンでいえば、かつての出稼ぎ社会のなかで三ちゃん農業が営まれていたころ(若い子は三ちゃん農業ってわからないかな)、農村において何が起きていたか、あるいは男が出征してしまった土地にて残った者たち(つまり老人、女、子ども)になにを見聞きしたか。
メキシコの農村(にかぎらないが)から米国へ一旗あげようと多くの者が密入国を企てる。
一行はもちろん苦労し、それを同情的に扱った作品は、いまでは数多い。
しかし残った者たちについてこの作品は語る。
お互いに男に去られた、世代の異なった女の確執が描写される。
オアハカの山地、いかにも地味がとぼしく、貧困を絵に描いたような暮らしの村であるが、それでもクリスマスやら聖週間などの(宗教)行事の際には村総出でにぎわう。
本来は自給自足でその貧しさに馴れきってしまっているはずなのに、男たちは出ていく。
もうすこしいい暮らしを夢見て。
しかしだれも無傷ではいられない。
しかもこのような村では、家父長制が絶対で、女の権利はない。
そんなかなで、女たちはいかに生きることに目覚めていくか(と記すとプロレタリア映画風に写ってしまうが)。
(2009/09/13)