メキシコ映画「Corazon del tiempo(「時の心」)」、Alberto Cortes、2008、メキシコ



実は観るのを少しためらった。
 公式的すぎてガッカリするのではないかと。

 メキシコのチアパス、そのサパティスタ(ゲリラ)による解放区、原住民部落での出来事。

 ニホンでいうところの結納もすませた娘が、あてがわれた青年ではなく、ゲリラ青年と結ばれることを望む、という他の国なら格好のメロドラマ。

 しかしここでは村の葛藤が沸き起こる。

 従来の家長制家族制度では、父親の決めることは絶対、すべては取り決められる。

 しかしこの娘ソニアは、解放区というところは人権も保証されているし、男女平等ということもあって、自分の主張を曲げないし、相手のゲリラ青年も純愛を貫き通したい。

 婚約相手の親、一族同士が話し合っても埒があかず、しかも相手がゲリラ青年ということで、ゲリラ幹部も話し合いに加わる。

 ゲリラ幹部もまずは元の縁組を支持し、丸く治めたいとは思うが、二人の意志は固く、結果としてゲリラ青年が野に降りるのではなく、娘が山に入って、ゲリラ活動に加わることで一件落着!


 ’94年のザパティスタ蜂起以来、サパティスタ自身、あるいは解放部落は、メキシコ国軍、および農園主私兵に脅かされ、それはこんにちに至っても衰えることはない。

 すべては大農園主から、自分たちの農地を取りもどし、自分たちの暮らしを守りたいというシンプルな願いから発していること。

 そんな願いを武力でねじ伏せようという勢力が存在する。

 止むことない戦いのなかで、個人はどう生きるか、いわゆる社会主義リアリズムとどこがちがうのか、ここで能弁に説かれている。

 大義のしたで犠牲にしてもいい価値というのはありえるか。



 サパティスタについては少なからぬドキュメンタリー映画が存在するが、これは初めてのフィクション映画ということで、脚本には監督のほかに、サパティスタ運動のクロニスタ第一人者Hermann Bellinghausenが加わっている。

 ストーリー的には、ハッピーエンドで終わっているが、これから待ち受けているものは、いろいろな意味で予測不能にちかい。

 考えたこと、感じたことはまだまだあるが、力およばず、ここにて(今日のところは)尽きる。


(2009/08/23)