メキシコ映画「Voy a explotar(「あたしは爆発する」)」、Gerardo Naranjo, 2008、メキシコ
・「Voy a explotar(「あたしは爆発する」)」、Gerardo Naranjo, 2008、メキシコ
メキシコの真ん中へん、グアナフアトがイメージされるいなかの都市、そこで政治家の息子、思春期のロマンは自堕落な暮らしをおくり、なんども放校される。
ある学校でおなじく毎日の暮らしに飽き足らないマルーというおんなのこと知り合う。
ロマンには継母がいて、生母はもしかすると父によってなにかに巻き込まれたのではないかと疑い、家族関係がややギクシャク。
このロマンとマルーは、駆け落ちに出て双方の親(マルーは母親のみ)を心配させるが、逃げた先は、自宅の屋敷の屋上であり、親が出奔しているあいだをみつけては、屋敷から必要なものを補充するという、逃げ出すという精神的ドラマからは程遠いもの。
そして親名義に招待がきているパーティーで豪遊したり、ロマンはかなり親のカサを着ての暮らしに安穏とする。
首都への逃亡も夢見るが、せいぜいが州内を盗んだ車で乗り回すていど。
かえっておんなのこのマルーのほうが、自由への希求がつよく、ふたりはやがてますます近づいてゆくものの、この壁はある意味、決定的。
親の政治家としての腐敗がそのまま息子に根づいたという印象。
この世代というのは、なにかというと反撥したがる。
しかし、ではなにに反撥し、なにをいったい求めているのかということに自覚的になることはあまり容易なことではない。
プロデューサーは、ガーエル・ガルシアにディエゴ・ルナ(カナナ・グループ)。
だからというわけではないが、「天国の口、楽園の終わり」と比べたくなる。
(2009/06/25)