イラン映画「The Willow Tree(「光をみつけに」)」(2005)

・「The Willow Tree(「光をみつけに」)」、Majid Majidi(2005)

 イランの巨匠でもあるMajid Majidi監督の作品、原題は「'Beed-e majnoon' 」、英語タイトルはThe Willow Tree, 柳の木, スペイン語タイトルはLas cenizas de la luz,光の灰、みなさん、いろいろ苦労しているようで。

 盲大学の教師であるユセッフは、失明の危険におちいり、親族の骨折りもあってフランスでの治療に向かう。

 おなじく盲学校の教師である妻と幼い娘を残し、決死の思いのフランスでの治療、しかしさいわい、移植もあったのか視力を取りもどす。

 眼がみえるようになったとき、まるで子どものごとく喜びあがるのがいとおしい。

 イランに凱旋したとき、多くのひとたちが歓迎にかけつけ、おもいもよらず時の人となる。

 しかし眼がみえるようになったことで、余計な思いばかりが入り乱れるのか、人との意思疎通にどことなくこだわりをもち、しだいに自分の殻に閉じこもりがちになる。

 以前の大学からは復職の声がかかるのに相手にせず、家族との折り合いもぎこちなく、しまいにあいそをつかれて、里帰りされる。

 ユセッフはいままで自分が努力し、達成してきたことをすべて否定してしまいたくなる。

 ここには、いわゆる西洋近代の個我、自我地獄が赤い舌をひらめかせ、ユセッフを呑みこもうとする。

 近代社会という背反性を背負ったるつぼをここで垣間見るとき、イラン的(集団社会)メンタリティというのはどこにかき消されたのだろうかと思い迷ってしまう。

 しかしまぎれもなく、これはイラン社会の変容を物語っていて、社会を超えた個人というテーマに顔を付き合わされてしまう。

 ストーリー的には、ユセッフはさいごには前向きな生を模索しようとするところでおわる。

 ニホンでは未公開であるらしいが、DVDで手に入る。



(2009/05/31)