スペイン映画「Son de mar(「マルティーナは海」)」(2001)

・「Son de mar(「マルティーナは海」)」Juan José Bigas Luna、スペイン(2001)

 ビガス・ルナはその官能性ゆえにわりとヒットをとばしているスペインの映画監督。
 しかしわたし自身、漫然と見てきたのでどれを見て、どれを見ていないかわからなくなるくらいで、この作品も見たようなつもりになっていたが、じっさいは見ていなかったらしい。

 単純で安っぽいラヴ・ロマンスのごとくはじまる。
 ギリシャ・ローマ古典の新任教師として赴任してきた小汚い若いおとこが、料理屋兼宿屋の娘(レオノール・ワトリング)と恋におちいり、気がつくと子をはらみ、結婚までしてしまう。

 ただこの娘に執着している地元の有力家がいる程度が波乱の材料になりそう。

 タイトルの「Son de mar(海の響き)」は大型ヨットの名で、映画の撮影もかつて試みられ、この娘はこのヨットに夢をたくす。

 しかしこの教師は手に入れた小船で沖に出て、娘に魚を持ち帰るつもりが難破し、行方不明となり、亡くなったことにされる。

 やがてこの娘は、有力者と結婚し、優雅な暮らしをおくるし、大型ヨットも手に入れ、何不自由ない日々をすごす。

 しかしその平穏な日々は、元教師からの突然の電話にて崩れ去る。
 たちまちふたりは愛欲のとりこと化す。

 しかしまもなく有力者に秘密が知れ、罠をかけられ、ふたりは愛の逃避行のつもりだったものが、細工により海のモズクへといたる。

 いうなれば愛欲の徹底性。
 遭難後の男は、ただたよりなさばかりが目立ち、その一途さもなかば戯画的、この閉塞感ははたして笑ってすませられるものかどうか。

 しかしこのストーリーですぐさま思い出すのは、ニホンの第二次大戦の戦争未亡人のことである。

 南方などで戦死とされた夫亡き後、戦争未亡人はほかのひとのところに嫁いだものだった。
 しかしえてして、戦死が誤報でやがて本土の土を踏んだものの、妻は他人の嫁になっているとき、ニホンはちまちました社会であるし、家精度が確固としているので、もとの愛欲生活に密かにしろ戻れたはずがない。

 これは海の話である。
 ひとは海から来たものであるから、好むと好まざると海に帰っていかなければならない、それこそが古典時代からの宿命だという伝統も垣間見えそうである。

 すらりとしてやや蓮っ葉でもあるようなレオノールが、かなり強烈な姿態を見せつけるのが残像として残る。


(2009/03/07)