フランス映画「À bout de souffle(「勝手にしやがれ」)」1960
「À bout de souffle(「勝手にしやがれ」)」ジャン=リュック・ゴダール、1960、フランス
ゴダールの処女長編であり、かつヌーベルバーグの古典でもあるこの作品をはじめて観る。
自堕落に生きる主人公は、米国映画にうつつをぬかしたり、格調ふかいパリの青年というイメージをすべて裏切る。
アメリカ女をふくめ、ただただ女たらしにちかいかたちで、いわば既成のヨーロッパ映画の期待をはぐらかすようである。
アメリカ女こそ知性にめぐまれ、自身の道を切り開くことに突き進んでいて、パリ男のなんとだらしないことか。
しかしそこにこそゴダールのカウンターカルチャー性が発現しているものと思われ、またメッセージ性が読み取れる。
にもかかわらず、勝手に、無軌道にいきることそれこそを見つめよ、という声が響いている。
だらしのなさにもひとつの美学があり、ただうさんくさく感じるひともいれば、惹かれるひともいて、それはもちろん観る側にゆだねられている。
(2008/11/04)