メキシコ映画「Lola(ローラ)」(1989)
・「Lola(ローラ)」Maria Novaro、メキシコ、1989
マリア・ノバロのはじめての長編映画は Lola という。
制作は1989年。
主人公のローラはシングルマザーのような、おんなのひと。
露店商を営む。
娘は小学に入ったばかり。
シングルマザーといっても、娘の父親であるロックシンガーは度々訪れ、娘の相手もする。
しかし、ローラのシンガーへの態度はときとして投げやりなところもある。
愛しているがゆえにより苛立つというところであろうか。
同居こそしていないものの、事実婚のカップルとしてそれほど支障がないようにみえるが、ローラのこころは捉えがたい。
そのシンガーがロサンジェルスに一年ほど働きにいくということで、このカップルは事実上の決裂をむかえる。
ローラは刹那的な歓びももとめる。
そしてひとりで娘を育てていくということで、自分のいろいろな気持にも直面しなくてはならない。
ローラの従事する露店商は、当局の取り締まりにもおびえなくてはならない。
ひどい場合には商品没収ということになる。
おなじ露店商仲間の若い男の子にも憧れられたりする(この男の子は、ほかのトピックスでも現れたロベルト・ソーサ。写真二枚目)。
度重なる取締りに業を煮やし、気分発散にと仲間同士で海へと繰り出す。
海岸でつかの間ののどかな暮らしをおくる。
しかしいちどは刹那的な歓びにひたった相手にも、気分によりしつこくされると傷害を加えるにまでいたる。
この作品では、娘と他愛ない会話がよく出てくるのと、ひとりでいっしんに考え込んでいるのが印象的。
自分がわからず、それでも自分がどう生きていけばいいのか懸命に考え込んでいるという態度がある。
それ自体はけなげである。
しかしこのローラに道はひらけているのだろうか。
あるいはすべては気の持ちよう、ものの見方しだいということになるのだろうか。
このマリア・ノバロは、もの凄い作品をつくっているわけではないが、いま、メキシコでおんなであることはなにを意味するのかをじっくり考えている。
それも目線をさげて、おんなを描くことにつとめているといっていいんじゃないかな。
ニホンではまったく紹介されていないのが惜しい。
(2007/11/17)