ボリビア映画「Cocalero」(2007年)

2005年のボリビアの大統領選挙前の、現大統領エボ・モラレスの動きを追ったもの。

 ボリビアといえば現在のラテンアメリカでも、怒涛の日々をおくっているくにであり、このボリビア始まって以来の原住民出身の大統領がうまれるまでには、鉱山関係の労働組合の尽力など、このくににおいていまだかってないほどの変化をみた。

 ボリビアにおける石油、あるいはより有望な天然ガスにまつわるエネルギー源の国有化計画はここではあまり触れられていない。

 この作品の主要テーマは、コカを栽培する農民たちのサバイバル、およびそれに対する米国、ボリビア政権との闘いからはじまる。

 ボリビアでも鉱山資源の枯渇のために閉山するところが多く、ひとびとは村でのコカ栽培へと戻っていく。

 もともとのコカの葉、それを噛んだり、食べたりすることはスペイン人到着以前から始められていたことで、米国人がそれを生成することでドラッグと化し、米国がきわめて神経質な態度をみせるにいたる。

 しかしとりわけボリビア人、その原住民はふるくからコカと生きてきたのである。

 鉱山系組合出身のエボはおおきく肩入れし、さらにコカ栽培の農民には女性が多いことから、その選挙戦にも女性の存在がつよく刻まれていく。

 かれら、かのじょたちは、もう米国への利益の犠牲になることを拒否し、じぶんたちのくに、それをつくりあげることで団結する。

 その運動は広範なひとたちを巻き込むし、ラテンアメリカアイデンティティのシンボル化もされている。

 軍部を説き伏せ、企業層にも食い込むが、じつはエボらの「旋風」を苦り顔でながめるひとたちもいて、もちろんそれらは富裕層である。

 映画は、エボが大統領に選ばれるところでおわる。
 しかし、その後のエボ政権はけっして安泰ではない。 
 富裕な州は、社会主義化をすすめるエボ政権にたいし、州の自治権の拡大をもとめる。
 あるいは例によって米国の主導によって反エボ分子の破壊活動も顕著になる。
 ひと昔まえだったら、米国は躊躇なく政権転覆のクーデターを試みているところである。
 はたしてエボ政権はこれを乗り切ることができるのだろうか。


 監督は若干27歳のブラジル人で米国で映画製作を学んだらしい。
 じつは映画製作主体は、ロスアンへレスの独立会社らしい。
 おなじスペイン語映画とはいいながら、メキシコの映画館ではスペイン語字幕がついていたおかげで、内容がていねいに把握できた。

 この作品、さきのスペイン・ラテンアメリカ映画祭にても上映され、ご覧になったひともすくなくないと思う。


http://www.jornada.unam.mx/2008/09/03/index.php?section=espectaculos&article=a09n1esp
 


(2008/09/21)