メキシコ映画「Alex Lora Esclavo del Rocanrol」(2003)

・「Alex Lora Esclavo del Rocanrol(「アレックス・ロラ、ロックンロールの奴隷」)」Luis Kelly、メキシコ(2003)

 いまではメキシコのロックミュージックは、華々しいものがある。

 その原点としてあるのは、本場のウッドストックの影響で催されたメキシコ版ウッドストックともいうべき、アバンダロ(バジェ・デル・ブラボーの近く)での音楽フェスティバルで、スキャンダルもまじえながら、当時としてはロックンロールでみちあふれた。

 当時のグループでいまなお活動をつづけている者たちは数少なく、そのなかでもっとも有名なのが、このアレックス・ロラである。

 その押し潰したような、いちど聴いたら忘れられないだみ声でのブルースやらロックンロールは、メキシコのロックミュージックの象徴である。

 この作品は、アレックスの活動を丹念に追ったドキュメンタリーで、いままで知られていなかったようなこのミュージシャンの側面をあますことなく伝えてくれる。

 映画館公開時にぜひとも見たいと思ったのだが、国産映画は不遇な目にあうのがきまっているので、一週間で切られ、その後、観る機会を逸していた。

 その後、この映画はニホンでのラテンアメリカ映画祭で上映されたらしく、わたしなど悔しい思いをしたものである。

 それがしばらく前にスーパーにて安く売られていたので、ようやくの思いで今日、観ることができたものである。




 アレックス・ロラは、メキシコのミック・ジャガーか、それともメキシコのボブ・ディランか。

 アレックスの人気はスゴイ。
 とりわけメキシコのマージナルな若者層から絶大の信頼を得ている。
 昨今のメキシコのロックミュージックは、もうすこし上の階層にうけているようである。
 しかしアレックスは、ネサとかチマルワカン、あるいはナウカルパンといった、経済的にもめぐまれない青少年層が支持している。
 アレックス自身も、自分こそがメキシコロックそのものだと自負しているらしい。
 結果として、メキシコの最大のカトリックシンボルたるグアダルーペの聖母のイコンをシャツなどで多用する。

 終始、スラングを吐き、悪態もついているにもかかわらず、じつは商業メディアから拒否されているわけではない。
 うがった見方をするならば、ポーズとしてのアグレッシヴ性ではないのかと勘ぐってしまう。

 アレックスの発言、悪態は前大統領におよんだり、社会的内容をおびることもある。
 しかし、具体的になにに対してアグレッシヴであるかと問われると、ちょっと答えに窮してしまいそうである。
 ただロックンロールを奏でていることが好きで、それなら、体制内の不満の捌け口的機能しか持ちえていないのではないかとも思えてくる。

 一方で、パンテオンロココとかいったバンドは、サパティスタ支持を歌詞で表明したりして、スローガンがより具体的で、それがゆえに商業メディアから締め出しをくう。

 アレックスは、二十年にわたって一夫一婦制を守ってきたというのは、意外な事実であった。
 なんてお行儀がいいんでしょう!!(爆)
 ひと皮むけば、家庭的な側面もあるらしい。

 それに、アレックスが、かなり英語を上手に操るというのも意外であった。

 あるいは、ニホンなら天ちゃんが演じているような(演じていると押し付けられているような)「国民の統合の象徴」のひとつがメキシコでは、アレックス・ロラなのかもしれない。

 アレックスと社会の関係、きわめて野心的な社会学のフィールドを提供しそうである。


(2008/06/30)