フランス映画「LE SCAPHANDRE ET LE PAPILLON(「潜水服は蝶の夢を見る」)」(2007)

・「LE SCAPHANDRE ET LE PAPILLON(「潜水服は蝶の夢を見る」)」ジュリアン・シュナーベル 、フランス、米国(2007)

 ちなみに英語タイトルはTHE DIVING BELL AND THE BUTTERFLY、スペイン語タイトルはEL LLANTO DE MARIPOSA。

 潜水中の事故によりからだに障害をもたらし、左目以外は自由のきかなくなった、まだ若い男の生きる意味を探す話(後日、潜水の障害ではなく、血管自体の障害であるということを教えてくれた方がいた)。

 冒頭、その眼から見える世界のみが描かれ、おお、これはアンチ・シネマ映画作品、見えないものを見えるようにするのではなく、見えるものも見えなくするというので、ひとりで歓んだのではあったが。

 障害中の、つまり病室やら(女性言語療法)介護士との日々と、元気だったころの放縦的な生活がほぼ交互に描かれる。

 もちろん、このような受難をまえにして生きることの意味はなにかについて熟考される。

 さらにはこの男、まわりの協力もあって、表現へと突き進む。

 しかし原作本で描かれていることは(もちろん未読)、つまりこの映画作品で語られていることは、客観的に見て、内容の濃密なストーリーだろうかと、わたしなどは例のやっかみ人生観からして、おおいに疑問を抱く。

 そりゃあ、障害者がいっしょーけんめい、綴り尽くしたのだから、ひとをカンドーさせないはずはない。
 しかし、障害者がうんうん唸って創り上げた作品は、その作品自体としての輝きをかならずしも十二分に発揮しているわけではない(王様は裸だ的発想?)

 身体に不具をきたした者の話でまだ記憶に新しいのは、ハビエル・バルデムの「空を飛ぶ夢」で、脚本はより練られていたはず。

 たとえば亡き原作者を貶めないためであったかどうかわからないが、寝たきりであっても、以前の暮らしから察せば、より豊かな性的妄想にみちていたはずで、極端なはなし、その性的妄想だけでも、ひとつの映画作品が撮れていたはず。

 介護士の立場から植物ニンゲンを描いたものに、これまた忘れがたい、アルモドバルの「トーク・トゥー・ハー」があって、これまた一歩突っ込んだ展開になっていた。

 ということで、わたしにはかなり生ぬるい作品にみえた。
 もちろん、映画になりにくい題材をエンターテーナー的に盛り上げるために、さまざまな工夫がこらしてあって、監督さんの努力は認めてもいいのだが。


(2008/06/22)