フランス映画「Persépolis(「ペルセポリス」)」(2007)

・「Persépolis(「ペルセポリス」)」Vincent Paronnaud、Marjane Satrapi、フランス(2007)

 声優が、マストロヤンニの娘、それにドヌーヴ、という点でも有名。
 アニメのモノトーン系の作品。

 しかし、ニホンのような社会にどっぷりつかっていて、日常性に埋没したきりでいて、それでいて、イランの空気を感じ取ることはおそろしくムズカシイ、あるいは不可能である。

 イラン革命後、あるいはイラン・イラク戦争を通じて、はじめは九歳の女の子の精神的成長(およびその挫折)が語られていく。

 その一族、家族自体が体制への反分子らしく、一族史も受難をまぬがれない(そのわりに経済的に困窮してはいないようだが)。
 いや、単に処刑されたイラン人自体がいかに多かったことか。

 この女の子もティーンエイジャーになると、欧米のポップカルチャーにいかれていく。
 いや、この女の子だけではなく、いわば世代の問題であり、欧米文化への志向をとどめることはまず不可能。
 とはいうものの、イランの当時の体制からはあらゆるプレッシャーを味わう。

 ひとつの手段として、オーストリアに単身、移住。
 西側のラジカルカルチャーにどっぷりとつかるが、やはりおおくの挫折もうけ、けっきょくは身も心もぼろぼろになって、帰国。
 ひとつの文化からべつの文化に移ることがいかに困難か、とりわけべつの文化から自分がどのようにみなされるか、といったモンダイも描かれる。

 イランの学生生活を再開するが、その窮屈さにふたたび閉口する。

 イランの歴史やら国民の受難やらを描くことよりも、そういった社会のなかでの、この女の子の精神的遍歴をたどることが、この作品の主眼となっている。
 
 この女の子、けっして品行方正な娘ではない。

 ここで思い出すのが、読んではいないのだけど、『テヘランでロリータを読む』である。
 この本は、それこそ襟をただしたイランの地下文化史であると思う。
 それはもちろん意義があるし、人間そのものがそこで問われているだろうが、イランで体制に不満な若者がどう生きていたかが、ある意味では対照的に語られている。

 この映画、カンヌではあのメキシコ映画「Luz silenciosa」とおなじ賞をうけ、フランスでは興行的にも成功したらしい。
 イスラム世界でも、ヤミDVDが、あちらこちらで販売されているらしい。


(2008/06/15)

 後日、『テヘランでロリータを読む』を読む機会にめぐまれた。
 イラン現代文化史、あるいは国際文化関係史といったものを編みたい誘惑にかられている。

         (2009/05/02)