イギリス映画「Nanny Mcphee(「ナニー・マクフィーの魔法のステッキ」)、2005
・「Nanny Mcphee(「ナニー・マクフィーの魔法のステッキ」)、Kirk Jones, イギリス、2005
イギリスのいなかの屋敷、ブラウン氏は男やもめである。
七人の子どもがいて、絵に描いたような悪がきで、いままでに17人だかの子守を追い出すほど、反抗的。
父親はあまり育児に乗り気ではなく、子どものほうも、父親はあたらしい奥さんさがししか考えていなくて、どんな話を読んでも、まま母というのはイジワルであるとみなしている。
そんななか、ナニー・マクフィーが訪れる。
演ずるエマ・トンプソンは脚色も手がけているようで、いかに役柄とはいえ、醜い容貌であらわれる。それだけ熱をいれて取り組んでいるということであるが。
魔法の杖をもちいる。
しかし、子どもたちに毅然としながらも、方向をあたえていく。
経済援助をしている貴族の叔母は、一ヶ月以内に結婚しなければ援助をやめると宣告し、必死の思いで相手をみつけるが、本人も子どもにも気に入るわけではなかった。
いっぽうでふたりいる女中のひとりが、叔母に連れていかれていた。
結婚式は「破壊と再生」の儀式であった。
マクフィーに入れ知恵された子どもたちが結婚式をぶちこわし、見ちがえるようになっている女中さんと、子どもたちのバックアップもあって、あたらしい結婚が成立する。
マクフィーも、子どもとこころを通いあわせていくにつれて、醜さがとれていくが、これはこの家族の眼、ものの見え方の暗示であると思われる。
役目をおえると、マクフィーはまたどこかに去っていく。
この悪がきどもに対処するマクフィーのやり方を見ていると、ちょうど荒廃学級の再生のことを思い描く。
やる気と熟慮しだいでは、いくらでも可能なのだ(と、現場にいないひとは軽々しく言うのだが)。
教育効果がたかい。
このブラウン氏と女中さんとの結婚は、もちろん階級をこえた結婚であり、本来のイギリスの道徳にはあわないものである。
ただ、子どもたちがやさしいまま母ならいいという思いが通じた感じである。
子ども向けの作品と受け止められやすいが(じじつ、シネテカのマチネではスペイン語吹き替えであった)、読み方しだいでは、いくらでも興味深くなりそうである。
(2008/04/28)