メキシコドキュメンタリー映画「Los Demonios del Eden(エデンの悪魔たち)」(2007)


社会活動家や新聞記者に受難のたえないメキシコである。
 たとえばわたしは、殺害された女性弁護士Digna Ochoaというひとのことにかかわっているので、リディァ・カチョのことにはあまり詳しくない。

 リディァ・カチョというジャーナリストは、富豪の少年少女愛、脅迫による年少者への凌辱などを訴え、その結果、自身の命さえも危機にさらし、権力の網にからめとられた女性である。

 メキシコは未成年のポルノやら、年少者への凌辱が社会問題になっているところである。

 だが、わたしは少年愛やらその凌辱についてもうひとつ絞りきれていなかったことを告白しなければならない。

 パゾリーニやら古典ギリシャ時代などでそのような現象は、なかばありふれたことであり、時代規範がことなれば、あたりまえでさえある。
 はては川端の「眠れる美女」のような例もある。

 じっさい、現代においては、上述の件は社会規範に反し、犯罪とみなされ、逮捕されるものはすくなくないらしい。

 リディァ・カチョ、およびレバノン出身の実業家、それにプエブラ州の知事もまきこんだこの事件は、言論のちからで社会告発をこころみたリリアを、金と権力が力で押さえつようとしたところに問題があった。
 そしてしばしば、金と権力のまえで折れてしまったり、ときには「蒸発」という結果になるものなのに、リディァはさいごまで闘いぬいた。
 もちろんそれだけのひとびとの支持があったということで、社会的成熟にも触れることができるわけだが。

 訴えを最高裁までもっていけた女性は、はじめてだそうな。

 しかしリディァ・カチョの闘いはまだ終わっていない。

 このドキュメンタリーはつい最近、完成し、いまはシネテカなどでも上映されているが、今晩は22チャンネルで放映されたので、くいいるように眺めていた。



(2008/03/26)