メキシコ映画「La Zona(ゾーン)」(2007)


・「La Zona(ゾーン)」、Rodrigo Pla(ロドリーゴ・プラ)、2007,メキシコ

 世界でもっとも貧富の差がいちじるしい国のひとつのメキシコ。
 先進国においても階級や民族によって棲み分けが成立していて、都心部には恵まれないひとたち、郊外には富裕階層ときまっている。

 しかし交通インフラがじゅうぶんに発達していないと、いくら車で通勤しようにも渋滞に立ち往生することになるから、それほど郊外に移り住むわけにはいかない。
 したがって、貧富の差が極端なひとたちが、隣り合って住む場合がある。もちろん、境界はしっかり打ち立てられるわけだが。

 そんな貧富の差のある少年少女のロマンス、それはなんとショッピングモールを舞台にして沸き起こるのだが、貧富の差は恋で乗り越えられるなどという、ややアナクロニカルなメキシコ映画も過去にはあった(「Amar te duele」(2002))。

 しかし、貧富の差はゼッタイ的であり、棲み分け、囲い込みはすすむいっぽうである。

 この作品では、ゾーンと名づけられているが、じっさいは、フラクショナミエントと呼ばれることが多いと思う。

 この作品では、偶発的な要素により、ゾーンに侵入・殺人事件が発生し、ゾーン(の自治会)の防衛機能が過剰反応し、自警団に発展、はては内部の異分子探しをはじめるまでにいたる。

 侵入者が異分子扱いされるということで、フェリーぺ・カサレスの「Apando」あたりを想像したが、追う者、追われる者、そして外部の者(治外法権化して、ポリスもあまり手を出せない)と描き方がダイナミックスで、ストーリーテーラーとしての巧みさにも舌をまく。
 メキシコ映画もなんと製作がじょうずになったことだろう。

 この映画に救いはあるだろうか。
 いまでは、ゾーンどころか、通りの通り抜け制限さえ試みられているメキシコ、しかし、いわゆる人間狩りのすえに、住民たちはどこまで良心を恢復するのだろうか。

 出演者も豪華。あのマリベル・ベルデュも出ているし、ダックシーズンのエンリケ・アレオラら、多彩。


(2008/03/25)