イタリア・カナダ・日映画「シルク」(2007)


・「Silk」、フランソア・ジラール、2007、イタリア・カナダ・日

 原作もベストセラーらしいアレッサンドロ・バリッコ。
 原作には、現実のニホンではなく、イタリア人が思うところのニホンだという但し書きがあるらしい。

 ニホンの絹産業といえば、開国後に外国に買い叩かれるという事態をむかえたことが有名。
 しかしながら、どこまで史実にのっとっているか不確かであるが、フランスにても製糸業が盛んで、窮地におちいったとき、ニホンの蚕の卵をもとめたというのは、歴史のイマジネーションをそそる。

 それで主人公がフランスの片田舎からニホンまでアジア大陸の内陸部を通っていくというのに驚く。
 それこそシルクロードを拡大解釈したものか。

 さらに、ウラジオスクから酒田に密入国するという。
 宮内勝典さんがいうには、鹿児島は内浦湾あたりはじっさい、密入出国があったらしいという話であるが、よりによって酒田とは。
 それから信州の極秘の山村、ここが大きな要素をしめるのだが、そういうトポス編成になる。

 ただアリエネエ〜〜、といってはしかたがないので、ひとつの歴史のロマンとして、そういうこともありえただろうか、なんて思いをはせると、読みに深みがでるかもしれない。

 つまり、幕末以前から、ニホンは絹や蚕をめぐってグローバル・マーケットに編入されていたのか、とか。

 イマジネーションのうえで、歴史がどう書き換えられるか、という思いがつのっていくが、フランスからの青年と、ふしぎなニホンのおんなとの、交わりは、消化不良でおわる。
 この種のロマンスでは、ラスト・サムライをみたばかり。
 まずは、このフランス人にとっての妖しいニホンのおんなのイメージ形成がふじゅうぶんだという気がする。

 ということで、けっきょく、本国での夫婦愛に舞い戻ってしまい、愛情劇に堕してしまう(それがいいんだ、というひともいるだろうが)。
 わたしには、おんなに狂ってしまうおとこを見たいという願望があるからか?

 妖しいおんなが、主人公にお茶をいれるシーンも、やや奇異な印象をもったが、しらべてみると、わざわざ、専門のひとをたのんで、お茶のシーンは考証にのっとっているらしい。 

 音楽は坂本龍一、オーソドックスで美しい曲作りになっていたと思う。

 もしないものねだりをしてもいいのなら、原作者なり監督は、ニホン人アシスタントと、共同制作というのではなくても、雑談のかたちでもいいから、ニホンの歴史やら幕末期の空気などについて情報収集してほしかった。
 もしわたしに声でもかかったら、妄想をいっぱい吹き込んであげたのにナ。


(2008/02/17)