米国映画「The Kite runner」(2007)

・The kite runner、Marc Forster, 2007, 米国

 この作品を初めて知ったのは、レオノラ・カリントン(90歳)が読んでいて、あるインタビューにてそれを語っていたときのこと。

 その後、映画化にまつわるスキャンダルがすこし話題にのぼっていた、つまり子どものレイプシーンについて。

 気がつくと、世界的ベストセラーになっているということだった。

 地元のサンボルスのペーパーバック売り場でも並んでいて、わたしもひやかしてみた。米国人が綴ったものではないから、英語もやさしいかなとか思った。

 そしてふいに映画を見てしまった(ほんとは、今日はガルシア=マルケスコレラの時代の愛」を見るつもりだったけど)。

 歴史に翻弄されるひとびと。
 アフガニスタンでの裕福な暮らしを、ソ連の侵入によって捨てなければならなかったひとびと、そして米国への亡命。

 その底で基調をなす子どもの関係。
 もちろん子どもの凧揚げ、というノスタルジックな魅力も含まれている。

 もちろんエスニック性も現れてきているが、いかなる条件によって米国社会に位置しているかによって自ずと、語ることに方向性が与えられてしまう。

 それにしても、いま、ここで、タリバンをいかに描くか。
 映画のなかで多くのタリバンの暴挙が扱われる。
 イスラム原理主義を標榜するタリバンは、米国など西側諸国にとっては暴政そのものであるだろうけど、その描き方にしても、あらかじめのイメージによって描かれてはいないだろうか、と疑問をもつ。

 おなじく、主人公などがいくつかのシーンでしめす、人道的「スタンド・プレー」でさえ、コンテキストから考えると、どこまで妥当であったか、ちょっとあやふや(あるいは、わたしの考えが偏っているのだろうか)。

 いくらか複雑な後味を残す作品である。
 しかしストーリーとしては、おもしろい。
 語り合うべきテーマを抱いた作品である(でも、これが世界的ベストセラーとは)。



(2008/01/13)