フランス映画「Ecorches」(2004)

・「Ecorches」、Cheyenne Carron、2004、フランス

 ふたりの若いカップルが人里はなれた屋敷でヴァカンスを過ごす。
 しかし日がたつにつれ、息がつまり、愛欲生活もおろそかになる。
 ふたりの関係は険悪な、サディスティック様相を帯びる。
 殺伐な暮らしに陥りならが、それでも外部から変化が訪れることを怖れている。

 しかしついには屋敷の所有者が現れ、ふたりは監禁し、虐げる。
 ここにきてふたたびふたりは共通項を見出す、いわば共犯者として。

 あるいはふたりにとって必要だったのは他者の眼ではなかったのだろうか。
 屋敷の一室にはリアルに映るマネキンが揃っていて、乳房やら陰部はテープで遮断され、擬人化がすすみ、マネキンに囲まれた暮らしをふたりは好んだようだ。
 他者の眼が、鏡としても必要であったらしい。
 ドラマのテンションは増し、トラブルのすえに所有者は殺害される。

 ところが、どうやらこのカップル、ただの恋人なのではなく、義理の兄と妹であるらしい。
 親から複雑なコンプレックスを与えられたらしい。
 はじめはこのカップルに情欲生活が存在すると思っていた。
 しかし交わるときは着衣同然であった。
 単に映画公開の際の年齢制限の関係からそのような成り行きになっていたのかと思っていたら、どうやらきわどいところまでいきながら、フォーマルな交わりはかわされていなかったらしいとあとで気がついた。

 犯罪劇、スリラーの様相をとりながら、負荷のたかい内面のドラマであったらしい。
 密室空間でのカップルの(インセスト的な)関係ということで見れば、コルタサルのCasa tomada(「占拠された家」)に似通っている。
 しかしこの映画のなかのドラマからみれば、コルタサルのほうは冷ややかな、ともいえそう。だからこそシンボリックな意味でみちているのだともいえるけど。

 このフランス映画、シネ・ディアナでのフランス・メキシコ映画フェスティバルのなかの一作。
 

 このフェスティバルでは、メキシコの短篇映画も上映。
 「Fin de trayecto」(「路線の終わり」)
 ミクロの若い運転手は、何回か乗り込んできてずっと居残る若いおんなと、仕事が終わってから車内で交わる。
 交わるだけで話はせず、おたがいのことはなにもわからない。
 あるとき、おんながアザをつくっていて、おんなはそのつぎに風体のよくないおとこと乗り込んできて険悪な雰囲気におちいる。
 さいごに終点にて若い運転手はあやしい男を殺害し、処理する。
 しばらく姿をおんなは見せなかったが、やがて表情を隠すようにサングラスで顔を隠しながら終点にて乗り込んでくる。
 ただそれだけで、11分。
 シーンにはフアレス大統領の巨大頭部モニュメントやら、わたしの地元が映されていたので、みょうに生々しかった。


                  (2007/11/11)