邦画「ホタル」(2001)

 ・「ホタル」、降旗康夫、2001年、日本

ショーワ・テンノーの死去に触れた邦画には、知っているだけでも、「時雨の記」と「ホタル」があって、この「ホタル」を取り上げたい。

 いわゆる特攻の任を負って、散っていった若者たち。
 じつはかれらにはかれらなりの事情があったらしい。そしてかならずしも明らかにされているわけではないということにも触れている。

 特攻にいけなかったひと。あるいは、特攻から帰ってきたひとたち。
 たとえば、島尾敏雄がいる。島尾は島尾でのちに、ひとつのオリジナルな世界を築いた。
 「兄弟」のなかに出てくる、特攻帰りだというなかにし礼の兄の場合は、特攻のイルージョンを利用したような恰好。
 特攻のひとびとは、悲壮美に憧れたのか。

 よく知られているように、特攻に使用された飛行機はオンボロであった。やっと操縦可能であるような。
 一方で、これもこのあいだの鶴見俊輔の鼎談によれば、米軍の情報が入手できる立場にいた鶴見は、当初こそ特攻は米軍を震え上がらせたが、米軍防備の充実のまえでは、やがてほとんど成果をあげられないような結果にいたる。

 つまり、特攻とは無駄死にだったらしい。
 これは、小田実のいう「難死」の思想と結びついてくると思うのだけど。
 いったい、特攻攻撃のその死の寸前に、若者は何と言っただろうか。テンノーヘーカ・バンザイか、おかあ〜さん!か。

 この映画は、ある程度までそんなビミョウな閾に踏み込んでいるという話だ。

 ひとつ、とても印象的だったのは、特攻攻撃で突っ込んでいく、その悲壮なシーン(ドキュメンタリー)のバックの音楽に、ショパンの「別れのワルツ」だったかが流れていた。この奇異な組み合わせが、すぐれた効果をあたえていたと思う。

 もちろん、この映画、ニホンと朝鮮との関係にも突っ込んでいる。
 戦犯として処刑された将校のなかには、朝鮮人出身のひともいたということは聞いたことがある。
 しかし、特攻という、強制的な志願(笑)を選んだもののなかに、朝鮮出身のひとがいたということは、はじめて知らされた。
 そして、その事実があたえるインパクト。

 映画のなかでも、十全にテーマが展開されているわけではないし、今後の研究をまちたいし、いま、軽々しく断定的なことを語ってしまうのは慎んでしまいたい。


                (2007/08/28)