邦画「リリイ・シュシュのすべて」(2001)
・「リリイ・シュシュのすべて」、岩井俊二、日本、2001年
15歳の少年、少女には何でもできてしまうのだろうか。
たとえば、いちご同盟、のように。あるいは、海辺のカフカ、とか。または、わたし自身も15歳の少年の話を綴ったことがあるけれど。
北関東の、畑(あるいは田んぼ)のなか。いわば、おなじような環境で育ったともいえるのだけど、これだけちがうのか。わたしたちのころは、はるかに牧歌的だったのか。
それにしても、年頃の子どもをもつことがこんなに怖ろしいものだろうか。
そう、15歳の少年ならば、数多くの可能性を抱いているのだ。メキシコならば、かなりの率でドラッグを経験済みのはず。
15歳の優しさと残酷さ。その裏に見え隠れする、自身への頼りなさ。
やること、なすこと、ネガティヴにしか出せない世代。
あるいは、それをどう描き切ることができるか、という表現論の問題。
表現によって意識を括りかえしてしまうことは可能なのか。
生々しさは、生々しさのままでいいのか。それともずらして表現するべきものなのか。
どこかしらには、出口がきっとあるはず。でもその出口について、他人、あるいはほかの世代はとやかく口うるさい。
故に鬱屈。鬱屈だけで収まれば、他人には迷惑はかけないのだが。
この監督の作品を観るのははじめて。
(2007/02/27)