米国映画「Letters from Iwo Jima(「硫黄島からの手紙」)」(2006)

 前にも触れたことがあると思うけど、太平洋海域にて亡くなったニホン・帝國・軍人は、戦闘によるのでなく、餓死したもののほうが多いということ。
 言いたいひとに言わせると、あの戦いは、ニホンが飢えないためだとかいうことであったが、どっちみち飢えることになっていたんだな。
 その先はというと、飢えに悶え狂い、ひとの肉を食べることからでしか見えてこないかもしれない。
 いや、いまさらペシミストぶるのはやめておこう。

 この作品のひとつのクライマックスは、ニホン側が捕虜を介抱したにもかかわらず(もちろん限定的にではあるけど)、米国側があっさり捕虜を抹殺した点。
 もちろん国際法上で禁じられていることで、発覚すれば軍法会議行きだと思うけど、じっさい、ゲリラ戦に悩んでいた米軍兵士とすれば、「自衛」的な意味さえあったかもしれない。
 友軍殺し、ということでは、トム・クルーズが悔いて、遺族に謝りにいくという映画もあったし、ヴィエトナムでのぺロトーンでも友軍の空爆にさらされたエピソードがあった。
 だからそのラインから見れば、かなり大胆な話だと受け止められる。

 とにかく前線にいる若者は、とても異なっているように見えても現代の若者に似通っている。あの「バベル」にも、菊池凛子役の女の子がシブヤあたりを彷徨するが、そこで眺められる若者と硫黄島の若者ときわめてだぶった。

 まあ、ハリウッド映画でも、これだけやれるのか、というひとつの驚き。全篇ほぼニホン語のハリウッド映画だなんて。


  (2007/02/19)