メキシコ映画「最後のサパティスタたち、忘れられた英雄」(2002)

 Los ultimos zapatistas, los heroes olvidados(「最後のサパティスタたち、忘れられた英雄」),Francesco Taboada Tabone,(2002),メキシコ


 メキシコ革命は何だったのか。世界史でも、際立った事件ではあった。しかしその解釈、定義をめぐってははっきりしないところが多い。
 しかし、ことはそれほどフクザツではなくて、ただ単に異なったレベルの社会変革が存在したということ。
 たとえば、一部の工場ではプロレタリア的変革の機運があったのに対し、農村では土地をめぐってのごたごた段階であった。社会改革理論ではすっぱり切ってしまうが、社会の実態はいろいろなレベルのものが混じってるから、そう簡単に一元的に語れるわけではない(と思うんだが)。

 それで農村である。ニホンでも不在地主制が戦前は巨大な足かせであったように、メキシコでも土地なき農民が貧困の源であった。そんなことがあっていいはずがない、ということでサパータは立ち上がった。政治的野心なんてどこにもなかった。

 このドキュメンタリー映画は、生き残っているサパティスタを丹念に訪れ、話を聴いたもの。戦闘の実態やらザパータの実像やら。公的資料に出てこないようなものも多い。ただ歳月がたっているから記憶するほうもまったく正確ではないかもしれないが。
 どのひとも相当のお年寄りであることはいうまでもない。往年を想像するのが観る側にとっても容易でない場合も多いと思う。

 政府軍をフェデラレス、とも言う。当時の独裁者ポルフィリオ・ディアスの配下。どこか政府軍といった場合、胡散臭さ、というか、怪しさのニュアンスがある。メキシコは革命軍の伝統がこのようにしてありえるから、政府軍に対して不信感が身に植え込まれているのかもしれない。それはニホンとはまったく、ちがう。ニホンはお上は、エライもの、逆らえない。もし、ニホンよりメキシコのほうが優れているところがあるならば、お上をどう見るかにあるのかもしれない(ビックリした?)

 あの「イノセントボイス」と似通ったようなところもある。政府軍もサパータ側も、若者をどう集めるか、ときには強引なところもあったらしい。

 20世紀の初頭から始まったサパータ、話は急に現代にまでいたる。旧サパティスタはいかに生きているか。その多くは報われることなく、細々と暮らしてきた。
 そして現代、サパティスタの理想はどこまで反映されているか。土地改革はどこまで進んだか。農民の暮らしは、改善されたか。ときはサリーナス大統領下の農民政策におよぶが、そネオリベラル政策で農民の被ったものは。。。
 という具合に話は尽きない。
 このビデオ、わりと楽に手に入るらしい。


                (2006/11/20)