メキシコ映画「Rito terminal(最終儀式)」(1999)


「Rito terminal(最終儀式)」、 Oscar Urrutia,(1999)、メキシコ

プエブラ州の辺境か、それともオアハカ州か、村のお祭りでモーロ人の剣の祭りが催されている(オアハカのミステカ地域だそうな)。剣をかきん、かきん、と対になって撃ちあわせながら踊る。

 映画とはあまり関係ないこと: スペイン人が新大陸に攻め及んできたのは、イベリア半島にてイスラム勢力を追い出してすぐのこと。言うまでもなくスペイン人にとってイスラム人(とくにモーロ人)の記憶は圧倒的。したがって新大陸の原住民にその当時もっともアップデートな踊りを植え与えたということ。移民系運動が問われるとき、もとの国の当時の有様は新たな国においてのイメージの原型の土台を築くもの。わたしの場合も、はじめてニホンを出たときのニホンのイメージは、そのご、何度となくニホンに戻っているものの、オブセッションのようなものになっている。

 ドキュメンタリー映画作成を試みる若い写真家が原住民の村に入り、原住民の娘に恋する。それと同時に村の魔法使いに影を盗まれる。この主人公はそのご、村のなかでどんな関係を築いていくかという内容。

 もちろん伝統的なものを守っているとはいうものの、原住民部落は外部に対して抵抗しつつ危機におそわれる。そこには緊張関係があふれる。写真家も都市に女がいながらほかの娘に惹かれ、近代主義情念思考に囚われる。
 必ずしも完成された作品ではないが、なかに孕んだテーマは価値がある。
 でも、あまり一般的な内容ではないこともいうまでもない。


                    (2006/11/05)