イスラエル映画「Kaddosh 」(1999)
・「Kaddosh 」アモス・ギタイ、イスラエル(1999)
(カドッシュ Kaddosh
上映時間110分/カラー/35ミリ/1999年製作/ヘブライ語
撮影=レナート・ベルタ
出演=ヤエル・アベカシス/ヨラム・ハタブ/メイタル・バルダ
『メモランダム』、『ヨム・ヨム』に続く「イスラエル三部作」の掉尾を飾る舞台は、エルサレムにあるユダヤ教超正統派のコミュニティ、メア・シェリーム。かつてのゲットーを思わせる戒律の厳しい宗教社会を背景に、子に恵まれず周囲の期待を裏切った姉と、意に添わぬ結婚を強いられた妹の日常の闘いを壮絶に描く、「至上の愛」の物語。)
以上はよそから引っ張ってきたもの。
さて、フクザツな歴史を背負ったイスラエル、現代イスラエルの歴史。周囲のイスラム勢力に対して一枚岩的抵抗(というか、防衛としての侵略(?))に手を染める国ではある。
しかし実際にはかならずしも一枚岩的でもないのだということが、ときどき伝わってくる。たとえば徴兵拒否をするイスラエル人。
文化的に優れたものに恵まれているというイスラエル人。しかし、その共同体コミュニティを守るためには、かなりの犠牲も強いることになる。
姉妹の物語。姉のほうは、僧侶階級と結婚しているが、不妊であり、義父によって夫にはほかの女があてがわれる。
妹のほうは、恋人がいるにもかかわらず、ほかの僧侶階級の男をあてがわれる。恋人への未練が断ち切れないがゆえに、夫に殴打されることに。
徳川時代ならまだしも、現代イスラエル国家において斯様な事実がまかり通っているというのは信じがたい。しかし、この僧侶階級、イスラエルのなかでもかなり突出気味なのだと聞いてやや納得はできるものの(いや、納得しちゃいかんな)、やはりこれもイスラエル社会の暗部にはちがいない。
目覚めた女たち、それに僧侶階級の男たち、その間を橋渡しするものにはやはりセックスが関わってくる。セックスを通していかにこのひとたちの関係が欺瞞的であるかも示唆される。宗教的熱情に貫かれた妹の夫の、妹との交わりはただ荒っぽくbruscoでabusivo。
姉は自壊し、妹は逃亡する。それしか選択がありえあず、そこからでしか次の世代が始まらないというメッセージ。イスラエルのなかでの葛藤、および戦い。
(2006/10/30)