メキシコ・ソ連映画「Que Viva Mexico!」

 ・「Que Viva Mexico!」セルゲイ・エイゼンシュタイン、メキシコ・ソ連・米国、1932年


TVの22チャンネルにて「オアハカエイゼンシュテイン」という一時間番組あり。

 メキシコのエイゼンシュテインといえば、その仕事が「メキシコ万歳(Que viva Mexico)」という作品に結集されている。
 膨大な量のフィルムを撮ったが完成せず、弟子たちの手で編集されたもの。
 ずっと前にたしか岩波ホールで上映されたはず。昂揚しつつ観にいったものだった。

 ところがめぐり合わせの関係で(笑)、メキシコにてこの映画評を眺めた。かなり酷評していた。曰く、メキシコのステレオパターン的な映像の羅列だとか。
 客観的に眺めると、歴史をたしかに意識はしているものの、民衆の民俗的なものをのっぺり撮っているという気がする。はじめからドキュメンタリーのつもりだったんだろうけど。

 さて、1930年にエイゼンシュテインはメキシコに到着した。翌年、オアハカ地方で大地震が発生、エイゼンシュテインは単発機にて現場に向かい、地震被害の有様を撮影。オアハカに魅惑され、そのまま長居をする。
 とりわけ焦点はテワンテペック方面。美しいところ。しかし、エイゼンシュテインのフィロソフィーとはかならずしも親和性があるようにはみえない。耽美的なエイゼンシュテインなんて、ちょっとヘンじゃない?

 メキシコのエッセンスというのはえてして、メキシコ人自身によっては把握されず、外国人によって認められてあhじめて国内的注目を浴びるというときが多い。
 エイゼンシュテインの場合はどうか。なぜうまくいかなかったのか。
 メキシコ革命前後の描き方も、なんだか卓越したものではないような気がする。もしかして、それはロシア革命メキシコ革命の性格のちがいにもよっているのだろうか。

 ところで、ある知り合いの学生(スペイン語科)が、卒論にエイゼンシュテインを選んだ。いい論文だったそうな。しかし、スペイン語文献をいっさい用いずに作成したんだそうな。そういうのもありなのか。内容が良ければなんでも許されちゃうのかな。もうずっと昔の話である。

 わたしがメキシコについて映画を撮るとしたら?


                     (2006/06/27)

 1932年に撮られたということになっているが、再編集されて公開されたのはずっと後のこと。
 撮影には、メキシコ人のアグスティン・ヒメネスという映画カメラマンの先駆者的人物がかかわっていて、メキシコ近代美術館でも展示が以前にあった。
 有名なエイゼンシュタインがどくろを手にのせているところとかの写真もこのメキシコ人による。