邦画「ゴジラ ファイナル・ウォーズ 」(2004)
「ゴジラ ファイナル・ウォーズ 」北村龍平 、日本(2004)
神は死んだ、しかしてゴジラが生まれた。
いいコピーだと思いませんか? 東宝の宣伝部でも雇ってくれないかな。
ということで一昨年製作の「ゴジラ ファイナル・ウォーズ 」の話。
神が死んでのち、ニンゲンのアルターエゴとしてゴジラが生まれた。ニンゲンの明るみでの意識ではコミュニケーション不能の存在としてのゴジラ。
その破壊衝動も故なきものではなく、ニンゲン自身のしっぺ返しという性格があり。それにもかかわらず、ニンゲンないし地球を守るという役割を受け入れるケースあり。だがそれも獣性の一環として。
この映画、成功作か失敗作か、意見が分かれているらしい。いちおう、ストーリーはまともに作られているし、自己破綻的な要素もあり、けっこうざっくばらん。悪くはないかもしれない。
そのうえでなおかつゴジラの魅力とは何なのか。そのカリスマ性とは何なのか。たとえばかつてモスラと闘ったときは、悪役を引き受けたはず。それがいつのまにか、地球を守る役割。それはそれでいいんだけど、ニンゲンのご都合主義が混じってはいないだろうか。いや、だからコントロールしがたい獣性も含まれている、と先に触れておいたはず。
わたしなんかが言わなくても誰でもしっているはずだが、米国の巨大生物特撮とニホンの特撮とでは根本的な違いがある。ニホンのものは、いわゆるぬいぐるみ。だからこそその動きにカリスマ性がこめられていた、一歩あやまれば稚拙さに陥るところを。
わたしは見ていないのだが、NYをゴジラが襲った話は、動きのモンダイもあって興ざめするほどのものだったとか。
理屈っぽいと嫌われるかな。
とにかく、「出演」する怪獣チームを眺めていると、自分の半世紀を回顧しているような気分になってくる。
伝わる話では(笑)、わたしがはじめて見た怪獣映画はラドンであったそうな。
小学のころは、隣町の映画館に怪獣映画がくると欠かさずに見にいったものだった。
まあ、怪獣にくらべるとニンゲンなんてちっこくて、見る影もない、頼りない存在ではあるが、そう思っているうちにどこかで逆転していたりして。。。
楽しめればそれでいいか。あんまり考えこむと、気が滅入ってくるかも。怪獣映画に限ったことではないが。
(2006/06/01)