イギリス映画「Mrs. Henderson presents(「ヘンダーソン夫人の贈り物」)」2005

 ・「Mrs. Henderson presents(「ヘンダーソン夫人の贈り物」)」、Stephen Frears、イギリス、2005

ヘンダーソンさんはご主人を亡くして未亡人に。七十歳になるところ。お金はたっぷりある。ご主人はインドの官吏かなにかだった。
 いっぽう、息子は第一次戦で毒ガスかなにかで戦死。かなり設定の仕方がうまい。でも実話だという。

 元気も余ってるヘンダーソン未亡人は売りに出ていた劇場を買う。劇場監督に納まったのは、中欧出のユダヤ人で、未亡人は好まなかったが、受け入れる。
 オーディションも進み、ミュージカルを主体にしたボードビル系の公演は順調な滑り出しを見せる。ここまではすんなりと来るので、ちょっと肩透かしを喰った感じ。

 興行が成功するや、同工異曲のショーを繰り広げる劇場が増え、ヘンダーソン未亡人らは頭をひねる。
 選択した戦略は、舞台でのヌード。
 この劇場、パリのムーランルージュに影響されてか、Windmill劇場という。しかし当時のイギリスの文教政策では、劇場でのヌードはご法度。担当当局者も貴族で、交渉がすすまない。
 それではということで、ヌードは静止したまま、ということに。(そういえば、戦後のニホンでも一時、額縁ショーとかはやりましたね)出演者も当初は抵抗を示す。

 ヒットラーがフランス侵入。第二次戦が進み、イギリスも空襲にさらされるようになる。
 しかし女性ヌードも含めたレヴュー系の公演はかたくなに続けられる。愛国的、戦意高揚的な内容に近づいていくが兵士の客もふえる。
 戦況は悪化、当局は劇場を閉鎖することを命令するが、未亡人らは抵抗し、公演続行にこぎつける。

 兵士らは女性ヌードに喝采する。未亡人は当局に自分の心うちを明かす。
 戦死した息子が、女性ヌードのピンアップを遺品のなかに含ませていた。おそらく生の女性ヌードを見ることもなく亡くなっていった息子。おなじような悔いを若い兵士たちに与えたくない。だから自分はこのような公演を選んだし、続けなければならない、と宣言する。

 すごい話だ。戦時下に女性ヌードだなんて。ニホンじゃ、もんぺ姿でお化粧さえ赦されてなかったでしょう?
 よく引き合いに出される「風とともに去りぬ」の(戦時下にもかかわらずの)偉大さもせいぜいが色恋沙汰。そこにすんありと空襲下に女性ヌード礼賛してしまうというこのタフさ。
 男性によって女性ヌードは女性への見下しを助長するし、由々しきことだという声もあるけど、ここまであっけらかんとされると、反論できない。

 そういえば同じように、やや年配気味の女性のヌードの話の「カレンダーガール」という映画もイギリス映画でしたね。

 やはり、女性のヌードは幼かろうが(いや、これはモンダイありか)、お歳を召していらっしゃろうが、やはり絶対的に美しいのだ。この映画、鶴見俊輔さんが見たら何というだろうか。

 もちろん、この作品、さまざまな麺を含んでいる。
 未亡人の資金は、つまりインドにて吸い上げてきたもの。
 劇場のお客も、正装した上流系の方々、なにしろ階級社会だもの。

 女性ヌード、女性の妖艶さと兵隊。これは、完全版の地獄の黙示録にも意外なエピソードが現れてきてた。プレイボーイメイトについて、もっと掘り下げてみればよかったが。
 でもこのテーマ、より突き詰めていくと、従軍慰安婦にまで至ってしまう。バルガス=ジョサのパンタレオンにまでいたるあっけなさなんて、「文明国」にはできない。(このフレーズ、物議を醸し出しそう)

 ということで、あれこれずっと考えさせてくれる、きわめて刺戟的な作品であった!!

                    (2006/05/21)