邦画「ローレライ」(2005)
福井晴敏原作の映画「ローレライ」を視る。
ふつうだったら、決してみないような類いの作品だが、わざわざ貸してもらったので、いわば消化試合風に視る(笑)。
この種の読み物、または映画は、どのくらい影響力、メッセージ性といったものを持つのだろうか。
キーコンセプトとして、国を守る、というのがあるが、これはいま、どのくらい切実なものとなっているのだろうか。
国を守る、とは、縮めてみれば、いまの暮らしの水準を守ることだと、ふつうは思ってしまうのだろうか。
もしあの戦争に、ニホンが米国にたいして勝ってしまったなら、ニホンの空気はどんなふうになっていたものだろうか。
この映画では、もっと具体的なことに触れている。トウキョウに原爆を落とすな、という決意。
なんでトウキョウにこだわるのだろうか。小倉でも新潟でも、落ちたら困るじゃん? なんか、そこんとこにカチンと来たひともいたんだろうな。
まあ、トウキョウへの投下を阻止したからといって、べつにニホン国家の意志が変わるものではないと思うけど。
いや、ちがう。トウキョウを潰してしまったら、ニホンは国の意志というものをどこから送ることができただろうか。
そう考えると、トウキョウ壊滅作戦というのは、ただナンセンスだけになる。でも、いいや。これはエンターテナメントだと思えば。
それなりに迫力やら、展開は凝っている。
しかし、後にハリウッドに身売りする、あのウオルフガング・ピーターセンの「Uボート」のきりりと締ったドラマをいちど見てしまったひとなら、ただ水ぶくれでしかないだろう。
潜水艦に女か。これは意外性があったかも。まさか女ばかりの潜水艦なんて撮ってもヒットするとは限らないが。
邦画にもピンからキリまであるんだよね。
(2006/05/12)