ドイツ映画「Die weiβe Massai (「マサイの恋人」)」(2005)
「Die weiβe Massai (「マサイの恋人」)」Hermine Huntgeburth、ドイツ、2005
あまりドイツ語には詳しくない。Hermine Huntgeburthというのは、ヘルミーネ ・ フントゥゲボールトと言うらしい。このおんなのひとが監督。
ケニアに遊びにきたスイスの若いカップルの女のほうが、たまたま見かけたマサイ族の戦士のエキゾチックさに惹かれる。のめりこむ。男の村まで辿り、いっしょに暮らすようになる。
はじめから、どういうストーリーになるかは、あきらかだ。しかも自伝に基づいている。
ときとして女のひとにはエキゾチックさが魅力になる。しかし、異人というのは、その環境やら慣習なども含めて異人なのである。まともな神経ではやっていけない。イスラム社会に同じような理由でもって入り込んだヨーロッパ人などもいるが、それはそれはたいへんなもの。
男が山羊の生き血を呑んでいるのを見たのが最初だろうか。それから文化の違いが際立ってくる。男の住んでいるところは村ともいえないような、遊牧的な野原で、小屋というか泥作りのテントというか、とても信じられないようなところ。それでもはじめはよくガマンしていたものだと思う。
スイス人の女は、その集落内ではじめての雑貨屋をひらく。しかし、まわりのニンゲンには経済というコンセプトがない。
これは両義的でもあり、山羊とサトウしか食べないひとびとに雑貨を提供しても、どういうものになるだろうか。悪くいえば、グローバリズムの末端ということになる。一方、集落の慣習では、スイス人の商行為は、理解しがたいものに近い。
しかもヨーロッパの悪しき個人主義の反映ともいうべきか、男のほうが嫉妬深くなる。
すべてにすべての試みをほどこし、体験し、がまんした末に、原住民風の娘を連れて本国に帰る。
見方によればストーリーはシンプルで教訓的でもある。何度も繰り返された話でもある。
マサイ族の戦士とスイスのキャリアウーマン。社会人類学のレポートそのもの。
ニホンでは、2006年のドイツ映画祭にて上映。
原作本は、コリンヌ・ホフマンという書き手によって講談社から刊行。
(2006/05/07)