イギリス・イタリア・南アフリカ共和国映画「Hotel Rwanda(ホテル・ルアンダ)」2004年

 ・「Hotel Rwanda(ホテル・ルアンダ)」、Terry George、イギリス・イタリア・南アフリカ共和国、2004年


 このあいだ、この作品を観た。
 とはいってもDVDの扱いを誤り、字幕なしで見てしまった。
 ほんとだったら、この作品を観たもっとも早いひとりに加えてもられたかもしれなかったのに。
 一年以上もまえのJALの個人用ビデオTVの選択のなかにこの作品が含まれていた。でもまったく何も知らなかったから、わざわざ観ようかなんて気持ちも起こらなかった。
 それ以来、何回か見そこなってしまった。残念。けっきょくお世話になったのは、海賊版DVDであった。

 アフリカの英語なんて大したことないよ、とか思って字幕なしで観てたんだけど、やっぱり不便だなあ、と思った。

 アフリカでの窮状は、以前にはナイジェリア内戦が印象に残ってる。つまりビアフラ危機。これはカート・ボネガットも書いてた。

 もうひとつ参考になるのは、開高健の「歩く影たち」の本の「戦場の博物誌」とかいう作品で、なまなましいトーンに充ちている。
 いや、西洋ヒューマニズムが試されていると言ったほうがいいのかもしれない。
 パレスチナの問題もアフリカの問題も、ニホンからははるかに遠い。どれだけ自分の問題としてひきつけて捉えることができるか。でもとにかく、西洋という文明の興亡にどうしても関わってくるテーマだということを分らなくてはならない。


1.何度かここでも触れてみたことがあるけど、(国民)国家と領土ないし国境のモンダイが提出されている。
 これ、じつはニホンにとっても他人事ではないんだと銘記しないと。ことほどさようにアフリカの国境線というのは恣意的、つまり西欧側の都合だけで設定された。だから部族の分布やら勢力関係など考慮されなかった。
 むしろ逆に、統治上の都合さえ部族配分に基づいていた。

2.西洋人道主義はどこまで世界を救えるか。ニンゲンの尊厳といったものに基づいた、「文明国」の個人の善意はいったい何をできるのか。
 これについてはどうしても加藤周一が語るところのシュバイツアーの例によらざるをえない(「羊の歌」より)。アフリカに渡ったシュバイツアーは実際には何ができたか。
 いっぽうフランソァ・モーリアックのような場合は旧宗主国の政治中枢に働きかけて、政策を変えさせようと努めた。手元にその本がないので詳述できないが、たとえば支配国の知識人といったグループは何ができるか。
 西洋人道主義は何をもたらすか。開高健の話にも出ているが、強い部族と弱い部族が戦っているとき、人道主義は弱い部族の側に立つ。闘いが長引くことによってアフリカの国自体が弱体化し、つまりは西洋からの支配に都合よくなる。そういう批判もありうる。


                    (2006/03/29,30)