メキシコ映画「Voces inocentes(イノセント・ボイス)」(2004)
Voces inocentes, Luis Mandoki,2004, メキシコ
さて、「イノセント・ボイス」なんである。海賊版のDVDにて観た。
舞台は80年代のエルサルバドル。 はて、何を書いたらいいのか。
半日ぐらいして、ハッとひらめいた。ラジオ・ベンセレモスの日記ノートを持っていたはずだ。昔、買った。本棚のいちばんうえ、埃をばっちりかぶってるところだ。
これはエルサルバドルのゲリラのカンパのためのもの。ラジオ・ベンセレモスは映画にも出てくるが、ゲリラ側のラジオ媒体。いまでこそメキシコのサパティスタたちはネットを用いて世界規模で自分たちのメッセージを伝えることができるが、ながいあいだ、ラジオこそゲリラのメディア上の武器だったのだ。
長いあいだ、ぜんぜん手にしたことがなかったから、書いてあることというと、懐かしさでいっぱいになる(ちなみに1985年版)。なんと当時、仲のよかったオンナ友だちの写真まで挟まっていて、おい、おい、泣けるゾ!
それはともかく、そのころ少年だったひとが米国にいって脚本を書いたのか。ああ、良いにしろ悪いにしろ、それが時間か。
う〜ん。。。こうして浸ってると、先が続かないな。
この日記帳、ゲリラ側のメッセージやらコトバが載ってて、しかも写真も何枚もある。
ああ、あるんだ! 少年兵、女の子たちも写ってる。容赦ないんだ。でも、微笑んでる。でも多くのものを見て、知ったうえでの微笑みなんだ。
と、ここまではノスタルジー篇。
(2006/02/22)
去年のアリエル賞、つまりメキシコ映画のアカデミー賞(ちなみにスペインのはゴヤ賞、というね)は、「鴨の季節」(Temporada de patos)が大賞のほかにいくつもの部門賞を獲得。
いっぽうの「イノセント・ボイス」はみっつくらいの部門賞のみに留まった。その時点ではイノセントのほう、わたしはあまり知らなかったから、インテリジェンスのある「鴨〜」にそれなりに感心した。
もっとも「鴨〜」を見たのは半ば偶然で、この映画をどうしても観たいと思ったわけではなかった。
「イノセント〜」のほうは、子どもと戦争、内戦、あまり好んで見たくなるようなものではない。それにこの監督もあまり好きではなかった。
とにかくメキシコ映画界は「鴨〜」のほうを選んだ。
「鴨の季節」の監督は新人で30代。
場所はトラテロルコ。さながらトウキョウでいえば高島平のような高層アパート群(それほど高層でもないけど)。
日曜に留守番をまかされた男の子二人が宅配ピザを頼むが、時間通りに来なかったとかで配達員と押し問答、というかお金をはらわず、配達員が居座る。いっぽう隣の女の子が小麦粉を貸してくれと訪れて、そのまま居座る。ここでふたつの組み合わせがやり取りをする。滑稽かつ粗野なやり取りは、ほとんど不条理演劇にも近い。
トラテロルコとはどういうところか。三文化広場があるところ。つまりアステカ時代のピラミッド跡、植民地時代の教会、それに現代の公団アパート群、で三つの文化の集合地帯。
しかし1968年のメキシコオリンピック時での虐殺でも有名。
何年かまえに、”Rojo amanecer”(赤い夜明け)という映画が出て、虐殺直後の軍らによる学生らへの掃討が生々しく描かれた。メキシコ映画史でも特筆にあたいする作品。
そのかつての虐殺の舞台が何事もない日常の暮らしを描き出し、些細なことで押し問答する。これは、映画史からいうとかなり意味のあることだった、と思う。視座の鮮やかな転換、というか魔術といってもいいくらい。作品自体もモノクロで職人芸で裏打ちされ、出来はよかったと思う。
この映画がイノセント・ボイスを圧倒したのだ。
けっきょくライバル映画のことしか触れなかったけど、やっぱりわたしにとっては、こだわりがあるんですね、いい意味にもわるい意味にも。
(2006/02/22)
1月のBS1の「きょうの世界」のなかで「映画で考える世界の紛争」という特集があり、初日はイノセント・ボイス(少年兵の悲劇、というタイトル)、二日目はホテル・ウガンダを扱っていた(ホテル・ウガンダもおととい、近くの露店でDVDを入手)。そのときに録ったビデオを今日も眺めてた。
ゲストは写真家の長倉洋海さん。エルサルバドルに行って、戦争を撮ろうと思ったが、自然が豊かな国で、しかもたいていは普通の暮らしをしているひとびとで、そういう日常を撮り続けることを意識した、とか語っていた。
たしかにその通りで、この映画ではいわば極限生活に追い詰められているいっぽうで、ニンゲンのつながりが生き生きしているのが印象的。
長倉さんの書いたもので持ってるものはというと。。。「フォトジャーナリストの眼」というのが見つかった。
その第一章がエルサルバドルに割かれている。巻頭を飾るのは女の子とダンスしているゲリラの青年たち。ああ、これだ、と思ってしまう。
そのBSの番組でも、そして映画でも抜け落ちていることがひとつあったと思う(おっ、カッコいい!)。
もともとエルサルバドルのゲリラ運動は、少数支配者による農地独占による農地解放闘争の性格をもっていたはず。それをあっちこっちで共産ゲリラが台頭し、とかアイマイな表現になってる。それはすり替えなんじゃないか?
農民のお方たちは、商品経済に犯されてるわたしたちとは違って自給自足経済に従ってきたから、政治がナンダカンダといわれても、あまり関係ないのかも。ただ自分の土地、農地がなくなってしまえば生きていけない(そこを工場へ行って自分を切り売りしろ、とか半強制されるわけだけど)。そういうときにだけ、武器をもって立ち上がる。イデオロギーなんかにかまって農作業をほっぽり出せるような方々ではないのです。なによりも大地を愛しているのです。
そこに忍び寄るのが、米国のヒステリーとコンプレックスなんでしょうね。
(1)だれが歴史を語ってくれるのか。
もっとも虐げられたひとたちは黙り込む。
ヒロシマにしろオキナワにしろ、またBC級戦犯にしろ。
内戦が過去のものとなったエルサルバドルでは、ひとは思い出に触れないように努めているのだとか。
この脚本家にとってもおなじで、すべては忘れ去るべきことだった。実体験そのものは、すこしも語ることへと押し出してはくれない。しかし、よりはっきりとはしない動機により過去が再構築されることになり、しかもそこにはメッセージ性が充ちていた。そういうわけだ。
(2)あれか、これか。こうもいえるし、ああもいえる。やっぱり無難なまんなかの道を取るのがいちばんいいんじゃないか。
そのような発想が受け付けられない地域が世界には多すぎる。ウイ、か、ノン。この計画に賛成するか、それとも反対するか。留保なんて認められない。
そういうことを語っていたのは、わたしの知る限りでは開高健だった。
政府軍の兵士になるか、それともゲリラに加わるか。
しかもおなじ者たちがたまたまふたつの側に分れて戦うことになった。つまり少年対少年ということも。
(3)少年兵は、住民たちにとっての人質であり、ゲリラになるまえの、いわば青田買いでもある。
ここにもBSでは解説があって、米国は政府軍にお金は出す。武器は出す。しかし兵士が足らない。年齢制限をさげてまで員数を充たすという必要があったらしい。
この映画について語るのは、もう疲れてしまった。エルサルバドルはいちおう、終わってる。でも世界各地でいまでも多くの少年兵がいる。
いつかのワールドフォトプレス展の写真だったか、赤ん坊をおぶったオンナのひとが砲弾を抱えて運んでいるのがあった。
とにかく、想像力をもちたい(大江っぽい?)
(追加篇)
(1) 岩波書店の雑誌「世界」のたしか二月号に、飯島さんという方が聞き手になって、この映画の脚本家と監督にインタビューしているものがあります。わたしは未見ですが。
(2) もういちど、強調しておいていいと思うのですが、エルサルバドルの悲劇は、もともと農地闘争(農民による)だったものですが、米国等はイデオロギー闘争としてのみ捉えようとしてきたということです。十四だかいくつだかの家族が大地主として君臨し、零細農民の暮らしが悪化する一方だったという背景があったみたいです。共産ゲリラの進攻に対して米国は自由を守ろうとした、というやつです。
じっさい、ヴィエトナムの経験のある米軍顧問団が投入されたようですし。
(3) 監督があるところで語っていることですが、エルサルバドルの少年兵はもう過去のものだけど、いまだに世界では少年兵はなくならない。たとえばイラク、そこでもおなじように少年が戦いの場に狩り出されている。まだ続いているテーマであり、声を上げなくてはならないテーマなのだと思われます。。。
(2006/02/24)
今日だか昨日だかが、国際少年兵の日(el Dia Internacional de los Ninos Soldados)の日なんだそうな。
それで国際赤十字が、15歳未満の少年を徴兵・招集することは国際法違反であるとの声明を出している。
現状では、少年兵の数は増しているばかりなのだとか。
たしかに少年兵で検索すると、それこそ世界のあちこちで存在しているようです。もっと明るみに出して、語り合うようにしなければ。
以上、本日のJornada紙のべた記事より。
(2007/02/14)
いまモンダイになっているミャンマー。
そこでも少年兵、十歳前後の少年兵のモンダイがこのところ触れられている。
それはまったく、このエルサルバドルのモンダイとおなじで、いわば人質的なリクルート。
ミャンマーでは、軍のなかでも自分たちの活動に嫌気がさしている分子があり、そういう兵士たちの離脱を防ぐために、人質のように、まわりの少年をリクルートし、連帯させているということらしい。
たえずおなじ手が用いられるということか。。。
(2007/11/01)