ドイツ映画「グリズリー・マン」(2005)

 ウエルナー・ヘルツォーク監督。
 ドキュメンタリータッチみたいで、この監督が贔屓のわたしも実はちょっと引いていたんだけど。

 ヒグマ好きのティモシー・トレッドウェルとかいう青年の話。このひと、アラスカにてヒグマの餌食になる。といえば、あの星野道夫さんとそっくりじゃないの!

 ヒグマぐらいなら、北海道のクマ牧場なんかでよく見られる。でも、やっぱり獰猛そうでオゾマシイ。あんまり仲良くなりたくないな。ホッキョクグマも獰猛だとはいうけれど。

 その野生のヒグマにこの青年は近づく。友だち関係を模索する。すぐそばでビデオを回す。それについて監督自身がコメントしていく。青年の生い立ちとか。アメリカンハンサムボーイで、当然、ドラッグもする。それが自己回生の意味もあってかヒグマに近づいていく。まるで野生のヒグマでなく、ぬいぐるみであるかのように。それでマスコミにおいても人気者にもなる。ほんとはヒグマに対抗する人間界を嫌っていたというのに。ひと皮むけばそのヘンのふつうの気短な兄ちゃんと違いはないんだろうけど。

 もちろん、女の子にももてる。いっしょにいた女の人も同時にヒグマの犠牲になった。やはり、無謀だった。襲われた当時の音声も録音されている。監督はそれらを淡々と語っていく。
 親のところにインタビューにいくと、母親がちょうどヒグマのぬいぐるみを抱いている。ブラックユーモア的。

 青年が撮ったビデオをつないで、それにインタビューでいろいろなひとを追っていく。超低予算映画だ。でも、もうひとつ向こう側が覗けて、予想以上に興味を掻きたてられた作品だった。

(2005/12/16)

(ドイツの監督って、フランスと比べても一風変わったひとが多いと思いますが。

 フィッツカラルドでは、原住民の太鼓(ビート)対カルーソーの歌唱という対立構図があり、カルペンティエル張りの遣り合いになってて、興味津々。つまりヨーロッパ世界対非ヨーロッパ世界ということ。

 アギーレは、わたし自身、スペインによる「新大陸」征服をテーマとして暮らしてたころがあるので、自分のために作られたような感じに受け止めました。
 ところでアギーレについてはオテロ=シルバがアギーレのことを書いてて、邦訳もあるんだけど、もってないし、本屋さんでこの原本、いちども見たことないや! )