米国映画「127hours」、Danny Boyle 、2010、米国

アウトドア好きの青年がユタ州の荒野をひとりで自転車で突っ走る。
 現代の米国という機械文明の砂漠のなかで、荒野に乗り出すことは自分の回復そのものなのか。
 しかし予期しない事故にみまわれ、岩石原の亀裂にはさまれ、身動きできなくなり、そのまま五日間を過ごす。
 絶体絶命。
 せめてはビデオに最期の自分の姿を写し残しておきたいと願う。

 そこでは頼るものといえば自分のみであり、むき出しの自分と向き合わなくてはならない。
 悲壮観がいちめんを占めるが、やはり最期がちかづくにつれ、悪あがきをせずにはいられない。

 しまいには自分の一部を犠牲にすることさえ思いつくが、これが十分に寓話的でもあり、社会というものが破滅を忌避するためにはその一部を犠牲にしなければならない、というアナロジーに似通う。

 息苦しく、緊迫感がただよい、ある意味で怖ろしい内容。
 苦肉の選択なることばを思い出すが、じっさいはより苦渋にみちたもの。


(23 de marzo, 2011)