邦画「化粧師」(2001)
・「化粧師」田中光敏 、日本、2001
化粧師と綴って、けわいし、と読む。
おんなのひとに化粧をほどこす男のひとのことで、一見、女々しいイメージをうけやすいが、もちろんお客は、派手好み、派手さをしいられる一部の階層にかぎられる。
化粧師自体、社会の隅のほうに自分の位置を設定しがちである。
しかしながら、化粧というのは外見を艶やかにするだけでなく、中身に自信をもあたえることを意味し、ひとの生き方をかえることさえ可能なのだ。
これは一般的に、化粧というのは一種の仮面だとおもわれる通説とは一味ことなっている。
外見と中身は密接に関係付けられているということらしい。
時代は曲がり角にさしかかっていた。
あたかも「青鞜」の刊行の時期がとりあげられている。
あるいは新劇の流れとチェーホフとか。
女性がつんぼさじきにされている時代はおわり、女性が自己主張をする時代、あるいは女性が読み書きに通じていく努力がクローズアップされていく。
大火による避難民と政治との対立やら、民衆がお上にたいしていかに対抗していくか、そのへんが、識字運動からはじまって、明確な図式として展開される。
女々しいと思われていた化粧師まで、じつは政治への対抗心にみちていたのだとわかる。
化粧師の生い立ちにまでいっきょに話はひろがり、周縁に位置しつつ、いかに中央に対抗するか。
見終わってみると、あまりにも図式的な展開にちょっとクビをかしげたくなるが、ただひたすら傍観者でしかないわたし(たち)にとっては、それは贅沢な感想かもしれない。
(2008/05/05)