米国映画「Borat」(2006)
Borat : Cultural Learnings of America for Make Benefit Glorious Nation of Kazakhstan ”、Larry Charles, 2006, 米国
とんでもない映画、というべきか、悪趣味すれすれ、いや、悪趣味そのものか。
直訳すると「ボラット:栄光なる国家カザフスタン共和国に恩恵をもたらす為のアメリカについての文化学習」ということ。
カザフスタンの田舎もののTVジャーナリストが、米国の暮らしを学びに渡米し、やらせ風(というか、偽物)のドキュメンタリーに仕上げたという成り立ち。
ロデオ大会のオープニングでのゲスト出演では、米国をはじめは称揚し喝采を浴びるが、米国国歌のパロディを唄って半殺し寸前になるとか。
ロータリークラブ風のサロンにて食事マナーの教えを受けながら、ガールフレンドとして黒人女性のコールガールを呼び込んだりとか。
それこそ、米国の「良識」を逆なでするようなことのオンパレード。いやはや、観てて不快感まで引き起こされるのが真実。悪趣味そのもの。それに女性蔑視的なコメントも多く含まれる。
観終わってあたまに浮かんだのは、グロテスクとばかばかしさ、という二語のみ。
しかしながら、醒めた眼で見直そうとすれば、あまりにも強烈な米国社会の戯画化と受け止められないこともない。
その強烈さをいまでもじゅうぶんには消化しきれてはいないが。
よく調べてみると、それなりに巧妙に寝られた「インチキ・ドキュメンタリー」(笑)であることにあらためて気がつく。
(2007/01/29)