米国映画「Way back」、Peter Weir, 2010, 米国

スターリン治下のソ連にて、罪状をでっちあげられたひとをふくめ、シベリアの強制収容所へとおくられ、厳しい強制労働をしいられる。
 このテーマでは、ソルジェニーツインの作品が有名で、このような強制労働のなかでひととひととの結びつきにおおいに意味を見出していたのが意味深い。

 しかし状況は過酷であり、その厳しさにより絶命するものが少なくない。
 しかも収容者たちのあいだにも、じつは力関係がうまれていて、収容者のなかでの力への屈服もむごいもの。
 そんないつ倒れてしまうかわからない状況のまえで、なんにんかは絶望的脱走を企てる。
 しかし外は、酷寒であり、さらに食糧も足りない。
 だがわずかな希望を胸にしてある暴風雪の晩に脱走をこころみる。

 脱走は成功したが、いったいどこまで行けばいいのか。
 はじめはモンゴルを目指していたが、モンゴルもコミュニスト治下にあるのを知り、巡礼をよそおいつつ、インドまで進もうとする。
 ことばにするのは容易であるが、いったいどれほどの辛苦を味わなくてはならなかったものだろうか。
 それは映画表現として映像化されているし、途中で絶命するものも何人かいた。
 さいごにはとうとう、暑熱の砂漠をインドまでたどりつく。
 見ていて、圧倒される迫力であるが、でもやはりこのひとたちの過酷さを映画館の安楽な座席にて感じ取ることは困難であることを痛感していたわたしである。

(09 of August, 2011)